「あ、おはよう。」

眠い目を擦りながら歩いてくる。ガイエン海上騎士団の館。
がここに流れ着いて来てから2年の月日が流れた。
あっという間の2年間ではあったが、今ではすっかり騎士団に馴染み、今や食堂での名物になりつつあった。
騎士団の朝は早い。
朝食の準備の為に、誰よりも早起きの少女の目がすっかり覚めた頃、
いつものように食堂に入ってくる団員達と挨拶を交わすのも日課の一つだ。
その中にの顔を見つけ、声をかけるのももちろん日課である。
「おはよう」
いつもと変わらない挨拶だけど、いつもと少し違うような気がするのは気のせいだろうか。
「あれ?寝不足?」
「ああ、一寸…。」
やっぱり眠たそうに目を瞬かせるを見て、不覚にも少し可愛いと思ってしまったりし頬を綻ばせ、
そういえば、とある事を思いだした。
「そういえば今日はついに卒業演習だっけ。」
今目の前にいるは出会った頃の彼ではなく、いつの間にか訓練生を卒業するまでになったのだ。
月日が経つのは早いな、ふとそう思った。
「流石の君も緊張して眠れなかったか」
からかい混じりの目でを見上げる。
2年前はよりも少し低いか同じ位だったのに、いつの間にか追い越され今では少し見上げなければならなくなった。
男の子の成長期ってずるい、というのが最近のの愚痴である。
対する彼女のほうはといえば既に成長期など終わったのだろうか、ほとんど2年前と変化が見られないことを嘆いているのだ。
の発言に眠気とは別に目を瞬かせたがそれもほんの一瞬、直ぐにいつもの表情に戻った。
「まあね。
ところでこれ、誰が作ったの?」
そう言って目の前に出されている朝食を指さした。
「もちろん、私だよ。今日は特別な日なので腕によりをかけて作っちゃいました!」
遠慮しないでどうぞどうぞ、と笑顔でに着席を促し満面の笑みを浮かべる
その朝食をじっと見つめるは決して寝ぼけているわけではない。
「…………これが、腕に、なんだって?」
「だからの成功を祝って一生懸命」
作ったんだ、と続けたかったが段々と尻すぼみになっていくのはどういうわけか。
「応援してくれるなら逆に何もしないで欲しかったんだけど…」
「は?!い、今」
幻聴が聞こえたんですけど
は俺を殺したいの?」
「なんですって?!」
やっぱり聞き捨てならんっ!と身を乗り出してきたに目もくれず、
じっ、と目の前の料理らしきものを見つめる
の目線の先のモノを見て思わず怯んだ
「いつもよりは上手くいったと思ったんだけど…」
「これが、ねえ?」
特にサラダは、と付け足すと、サラダ失敗する人なんているの、と切り替えされた。
そして目の前のサラダはというと、もの凄くばらつきがあるが、一応程度に切って盛りつけてあるものが山盛りになっていた。
それは今にも崩れそうだが恐るべきバランスを保って佇んでいる。
はっきり言ってこれは成功品なのだろうか。寧ろこれをどうやって運んだのかをツッコむべきなのだろうかとは思った。
朝からこの量を食べろというのか、と内心ため息をつく。
そしてそのままサラダの陰に隠れてしまって一見目立たないが、隠しきれない妙な存在感を醸しているそれらに目を向ける。
「フンギさんがは目玉焼きは黄身がかための方が好きって言ってたから」
かために焼いたら…と弁解するを横目に、これの何処が「かため」なのだろう、
真っ黒焦げではないか、それ以前に目玉焼きだと気付かなかった、と考えるが口にはしない。
その横にあるかろうじて原型をとどめているのはベーコンだろうか。
そしてその他にも妙にグロテスクな魚とか(一体何故よりによってこんな魚をチョイスしたのか)、
どんな味付けをしたらそんな色になるのかとか自然界に存在しないような色のスープやら
自称自慢の逸品の数々が所狭しと並べられている。
何を隠そう、この料理こそが、ここ、ガイエン海上騎士団の食堂で密かに名物となっているのである。
それがにとって名誉なことなのかは別として。
その名物がいつもよりパワーアップして差し出されているこの現状。
はっきり言って拷問かなにかだろうか。
「もう2年も厨房で働いてるのにちっとも上達しないな」
「そ、そんなことないよ、ほら、このスープとか美味しそうじゃん!」
何か怪しい物体が浮いているスープ。
これが美味しそうと言うの美的感覚を疑いたい。否、疑うまでもない。はゆっくりとに視線を向ける。
「な、なにその憐れみの眼差しはっ!!!」
「……いや、別に」
「うそをつけ!!今思いっきり失礼な事考えたでしょうが!!」
「凄いな、は俺の頭の中が読めるのか」
「思いっきり顔に出てた!」
じゃあるまいし、そんな器用なことできないよ」
「な?!言わせておけば随分なこと言ってくれるじゃない!」
肩で息を整え、を睨むが彼は至って平然、すました顔でいるから尚腹が立つ。
出会ってから今までには口論からなにから、勝てた事が一度もない。
今では初めて会った頃の優しくて儚げな少年の姿はすっかり影を潜め、
それどころか良いようにからかわれたり、丸め込まれてしまっている気がしてならない。
今回も好機となかりにをからかって見たものの、逆に返り討ちである。不甲斐ない、悔しい。
「まーた朝から痴話ゲンカか?仲がよろしいことで」
ふいに第三者の介入に驚いて振り返るが、こんな事を言ってくるのは後にも先にも彼しかいない。
「タル!とケネス」
「よぉ!」
「おはよう。」
カラカラ笑いながら近づいてきたのが、声をかけてきたタル。
俺はオマケかよ…と呟きながら挨拶を交わす、ちょっと個性的な風貌をしているのがケネスだ。
「二人ともおはよう。」
二人は同様、元々と仲が良かったという事もあり、彼らの人柄のおかげでもあるが、
来てからすんなりとうち解ける事ができ、特別に仲が良い友人達である。
「痴話ゲンカも結構だが、ちったぁ周りも気にしろよ。」
指摘されて周りを見渡すと、成る程、周りは迷惑そう、というより毎度の事なので、またか、といった感じでこちらを見ている。
中にはタルのように面白そうにしている者や、を気の毒そうに見る者までいた。
「痴話ゲンカじゃないってば!」
「はいはい、で何もめてたんだ?………て、あー。」
いつの間にかの正面の席に回っていた二人は目の前の光景を見て納得する。
の手料理か!愛されてるなー!」
他人の不幸はなんのその。自分に降りかからなければどうとでも言える。
ましてやその渦中の人物がとなると、からかわずにはいられないタルだった。
横でケネスは心配そうに、というより目の前の料理を見て同情しているのか、
はたまた嫌な予感を察知してか、恐る恐る正面の友人の顔色を窺った。
嫌な予感は的中したのだろうか。
彼はにっこりと笑い
「二人も愛されてると思うよ、なあ。」
その笑顔に今度は二人が凍り付く事になるのは言うまでもなく、ゆっくりと、ゆっくりとの方を向く。
「え?愛がどうのこうのはわかんないけど、二人にも作ってあるよ」
の一言に、まるで死刑宣告を受けた罪人のような衝撃に襲われる。
「いや、今日は一寸お腹が空いてなくて。」
「気持ちは嬉しいんだけど、その……」
「あ、なんか急に腹が痛くなってきた…」
必死にいい訳をしてなんとか逃れようと試みる二人だが、の一言に敢え無く撃沈される。
「愛されてるねー二人共」
「「……………」」
がくり、と項垂れる。

「あ」
「「あ?」」
突然奇怪な言葉が発声されたので揃って声のした方を向くと
「あんたたちもかーっ!!!!」
怒り狂ったの怒声が飛んできた。








programma2 cambiamento - 急変 -










どうして彼はこんなに不機嫌なんだろう。
目の前に少し尊大な態度でを見下ろす少年。この島の領主の息子。
身なりもいいが態度、プライドもかなりのものである。
どれもこれも領主の息子、という立場場ありがちな、それも島、という閉鎖的な環境で
8割型親の教育の賜物かもしれないが、あるなら尚更「世界は自分中心に回っている」と信じて疑わない。
権力をかざして優越感に浸る人間は多い。彼もその例に漏れず、時々そんな姿を見て、危ういな、と思う。
彼の自己中心的な態度で、周りに敬遠されつつあるのを知っている。勿論はそんなモノに屈するような性格ではない。
目の前の彼は未だそこまで酷いわけではないが、将来を考えると不安を感じざるを得ない。
根は悪くないのに、環境が悪かったのだ、と同情さえする。
知らぬ間に同情されている噂の渦中の少年、スノウの事をは嫌いでなかった。
寧ろ、好感を持っているし仲良くなりたい、とさえ思う。
だけど
彼のほうはそうではないらしい。
達は?」
そう質問してくる態度は決して友好的ではない。
スノウは横柄な態度を振る舞うことが多いが、特にの前での態度が著しい気がするのだ。
一言一言が棘々しいのは気のせいではない筈だ。
嫌われている、と思い始めたのはいつからだったか。そもそも此処に来たときから既にそんな態度だった気がする。
理由はなんとなくわかっているのだけれど。
そんなこんなでわざわざ嫌われている人の所に顔を出す物好きな人間なんてそうそういないわけで
、その他にもスノウには屋敷のお抱えの料理人がいる為にこの食堂を利用することがないという理由もあるが、
普段滅多に立ち寄る事のない彼が姿を現すのは珍しいな、と少し好奇の目でスノウを見てしまうだった。
「今朝食食べてる所だから奥にいるけど」
スノウも何か食べてく?と続ける前に達の方に歩いて行ってしまった。
どうせ、スノウの事だから緊張して朝食もまともに食べてないだろうに、後でこっそりに軽い食べ物でも渡そう。
私からということは勿論秘密だけど。

暫くして達は奥のテーブルから歩いてきた。
「お、もう出発ですか?」
引き留めるでもなくの前で立ち止まった彼らに声をかける。
「ああ、行ってくるよ。」
そう言って笑ったときの表情はとても穏やかなもので、
いつもは食えない性格のが時々見せる、なんの曇りのないこの笑顔が大好きだった。
「ん?二人共顔色が悪いけどどうしたの?」
「へ?!いや、その」
「な、なんでも…うっぷ!!」
「うわ、ちょ、お前ここで吐く……うっ…!」
首を傾げてタルとケネスに問いかけると急に慌て出す二人にますます首を傾げるのだった。
ほんの少し距離を置いた所でスノウが二人を憐れみの目で見ているのに気付き、
目を向けると目が合って、直ぐに反らされた。
なんなんだ一体。
と目が合うと肩を竦められる。彼だけがケロリとしている。

何なんだ一体。

「ま、まあとにかく…頑張ってきなよ4人とも!!いってらっしゃい!」
取り敢えずは無理矢理送り出すことにした。入って来たときと大分体調が違う二人の事が心配ではあるが。
まさかその原因が自分の料理にあるとは露にも思わないのが曰く「お目出たい性格」である、その人だった。

四人を送り出した後、テーブルを片づけにいく。
「あ。」
いつも何だかんだ言って、ちゃんと食べてくれるのだ。
「驚いた。」
知らず知らずに笑みが零れる。
さっきまで赤いハチマキの少年が座っていた席のテーブルにはあれだけ沢山並べた、
まさか全部完食出来るとは思っていなかった料理が綺麗に片づけられていた。
確かに普段から見た目からは想像がつかないほど良く食べる彼ではあるけどそれだけではない。これが彼の優しさなのだ。
自分でもお世辞でも上手とは言えない料理だと知っている。
も上手でなくともの一生懸命なのを知っているから。


「     は美味しくないと絶対食べてくれなかったからなぁ。」


だから新鮮で、嬉しい。

「あれ?今……」

自分は何を

ふいに外から船の出航を告げる大きな汽笛が聞こえてきた。
達の船だろうか。近くの窓から外を見上げると蒼い空に白い雲。風がゆっくりと雲を運んで。
今日は絶好の船出日和だ。
彼らの人生にとって大きな船出になるだろう。なら、私にとっては?
ーー」
「はい!今行きます!」
慌てて窓から視線を外して仕事に戻るの周りにも
暖かな風が吹いていた。


相変わらず記憶はまだ、戻らない。













「信じられん…相変わらずとは言え、あそこまで有り得ない料理は…」
「いや、あれは最早食いもんじゃねえ」
思い出すだけで胃が、いや、体中であの味を思い出す…と屈み込むタル。
は何であれを完食出来るんだ……。しかもあれだけ毒を食ってケロリとしてるのが信じられん」
「……。」
「俺、思うんだけど、あの殺人的不味い料理の味に気付かないのはが原因でもあるんじゃないか?」
「あ?」
「あんな料理を顔色一つ変えずに完食すんだぜ。」
現にの食べっぷりを見て、恐る恐るあの料理に挑戦して撃沈した人間も少なくない。
「「………。」」

傷心の二人の視界に広がるのは蒼い海。
そう、ここは船の上で、くわえて言うなら卒業演習の真っ最中。
色んな意味で拷問に他ならない。嗚呼、頼むから揺れないでくれ。
切実な少年達の願いは虚しくも聞き入れられる筈もなく。
大きな訓練船とはいえ、普段は船酔いなど皆無な少年達の傷心の胃袋を刺激するには十分な揺れ心地だった。

「俺、本当にこの試練乗り越えられたら本物の騎士になれる気がしてきた。」
「同感だ……。これ以上の試練はないかもしれない……。よりにもよって…。」

大事な卒業を賭けた試験だっていうのに。
これは本当にこれからの人生を左右する重要な試練に違いない…。
涙で世界が滲みそうだ。

「悪意はないんだが、毒はあったな。」

好意でやった事が単なる裏目どころかおつりがくるくらいの裏目に出てしまう
こっそりと裏でこんな会話が成されていることを彼女は知らない。


                                                     2006.4.24


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